石巻市復興を考える市民の会公式掲示板「その4」

石巻市復興を考える市民の会 公式掲示板4

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戸田の女将さん 月命日 弾丸娘

2019/01/18 (Fri) 02:37:21
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1/17は阪神淡路大震災と戸田の女将さんの月命日です。
私には特別な日でした。
正直、戸田さんのことはまだ現実として受け止めたくない自分と
「安らかに休んでね」と現実を受け入れてる自分がいます。
戸田さんには闘病中、よくメールをしました。
その時に季節の花や風景の画像を添付しました。

戸田さん、あれからもう1ヶ月経ちました。
私にはまだ電話口から声が聞こえてくる気がします。
さとみちゃん、無理はしたらダメよ。
頑張りすぎたら、ダメよ。
自分を労って、大切にしなきゃいけないよ。
戸田さん、約束。
無理しないからね。
ありがとう。今日もお花の写真添付するね。


24年前に神戸の震災を経験していなかったら、
ひょっとしたら、戸田さんとの出会いも無かったかもしれません。
震災という悲惨な悲劇から、かけがえのない人たちとの出会いに
繋がっていくなんて、人生は不思議なものです。
私は震災で家族を失うことはありませんでした。
もし、失っていたらと考えると、怖さしかありません。
不安で涙を流すことしかできないと思います。
今一度、震災天災の備えが出来ているか、
大切な人に伝えるべきことを伝えてるか、自分に問いたい。
明日会えなくなるかもしれない、
当たり前の日常が一変するのだから。

阪神大震災で亡くなられた方々、
そして戸田の女将さんに
ご冥福をお祈りいたします。



無題 - 市民の会ぽんぽこ邸本部

2019/01/18 (Fri) 08:40:59
*.zaq.ne.jp

これが夢であれば、、、、と思います。市民の会の八幡さんとも話しますが、八幡さんも女将さんが亡くなった現実を真正面から受け止めることはできず、できるだけ今は考えないようにしていると。それは市民の会の藤田も全く同じ。


とは言え。考えないように努力してみても、ふとしたきっかけで女将さんとの出会いから別れまでを、走馬灯のように想い出してしまいます。そして残念だという思いと、もっとサポートできたんじゃないか?という取り返しのつかない深い後悔の念が交錯する日々を、じっと耐えて生きているのが正直なところ。

昨年12月17日。女将さん逝去の第一報がもたらされた時、私の咄嗟の一言は「ちくしょー」という言葉だった。けっして美しい言葉ではありません。でも「ちくしょー」という言葉は、その瞬間の私の正直な気持ちを表現したものでした。女将さんの病状が厳しいことは、誰よりも理解しているつもりでした。しかしどこかで「いや、、、治療が功を奏し必ず生還できる」と根拠のない確信もあったのです。私は治療が始まって以降、女将さんのお見舞いができませんでした。準備はしていたのです。だけど女将さんは、やせ衰える姿を見せたくないと言い、その女心を尊重してお見舞いを控えていたのです。

今にして思えば説得してお見舞いするべきでしたし、信頼できる関係者筋には女将さんの重篤な状況を説明の上、最後となるやもしれぬお見舞いを促すべきだったのかもしれません。私は判断を大きく、大きく間違えたのではないか?

もう、、、今更、そんなことを言ってどうするんだ藤田よ?という思いもあります。でも、判断を間違えたのかもしれないと思うと、己の愚かさを呪わずにはいられないのです。



市民の会のマスコットであり、ボランティアさんらから愛されたビーグル犬の「クーたん」が亡くなりました。2011年の震災時、唯一生き残ってくれた家族がクーたんでした。震災後、自宅を簡易にリフォームし、外の景色を眺めることが可能になって以降のクーたんは震災前と同じ様に出窓に座り、外の景色をずっと眺めていました。家族の帰りを、そうやってずっと待っているのがクーたんの日課だったのです。震災で死亡した母と叔母が「そろそろ買い物から帰ってくる」とクーたんは思っていたのだと思います。いつも、そうしてお出迎えしていましたから。

母も叔母も、もう永遠に帰ってくることはなかったのですが。



震災後、いつの間にかクーたんも年老いて一日中、寝て過ごすことが多くなったような気がします。そして重い心臓病を患うようになり治療開始してから僅か9ヶ月あまりであっけなくクーたんも消えてしまいました。藤田は、遂に独りになってしまったわけです。




自宅に戻ってもクーたんは、おりません。真っ暗な自宅に藤田独り。己の人生が、まさかこのような哀れな結末を迎えるとは、予想すらできませんでした。「禍福(人生)糾える縄の如し」。


戸田の女将さんに会いにゆきました。すると女将さんは「藤田さん。新しいワンコを飼いなさい。独りで子育ては大変だろうから、私も応援してあげるから」と言い出した。「藤田さんが出張などで子犬の世話が困難な時は、私が引き受けるからワンコを飼いなさい」と。

その言葉に背中を押されて私はブリーダーさんのところで売れ残り、行き場を完全に失っていた子犬を引き取ることにしました。震災で家族が消え、そしてクーたんまでが消えてしまった震災以降、新しい家族がやってきたわけです。女将さんの後押しを受ける形で。


ところが、この子犬はクーたんとは似ても似つかない「やんちゃ坊主」でした。言うことはまったく聴きません。家中のスリッパを壊し、トイレットペーパーはめちゃくちゃに散らかし、tissueボックスは事件現場のように破壊されて散乱。買ったばかりの電気製品も噛み砕き、電気コードも噛みちぎられる。そして、誰彼見境なく噛みつき、面白くないことがあれば吠える、暴れる、走り回ると。


「なんだ、こいつは?」とホトホト参って居た頃、女将さんはクスクスと笑い「じゃあ、お店につれてきなさい」と言う。そこで車に子犬を乗せて女将さんが切り盛りしていた仮設商店街までひとっ飛び。店舗に入るやいなや女将さんは子犬を抱き上げ、そして諭すように世話をはじめ、小さく切ったりんごを一つ、一つ食べさせてくれた。甘くて美味しい林檎。子犬は、パクパクと歯音を立ててムシャムシャと食べていた。

懐かしい光景です。



女将さん

女将さんが可愛がってくれた子犬は、立派に成長し3歳になりましたよ。女将さんも治療開始後、会いたがっていたと聴いていました。写真を送り、女将さんは子犬が成長したことを喜んでくれていたと。


市民の会は未だ、女将さんの死を受け止めることができておりません。年末年始、市民の会は重苦しい雰囲気で2019年を迎えたことは事実です。世間は「謹賀新年」と喜びの挨拶を交わしている姿を目の当たりにしても、市民の会はとても新年を祝う気持ちにはなれませんでした。

とはいえ、女将さんが亡くってしまったことは厳然たる事実。どこかで自分たちを納得させ、そして女将さんの命日を大切にしなければいけない時がやってきたのだと受け止めなければなりませんね。

女将さん、安らかに。

女将さんが可愛がってくれた子犬は、3歳になりましたよ。



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